岩間寺に向かう途中の里山の風景。

神奈備(かんなび)と思われるきれいな山と田植えの済んだ水田。

しかし、高速道路が横切り、田には猪除けの電気柵が見える。

 

 

第12番「岩間寺」

 

約1300年の歴史を持つ西国三十三所観音霊場参りであるが、近江には正法寺(岩間寺)、石山寺、三井寺、宝巌寺、長命寺、観音正寺の6か所がある。
今まで岩間寺を除く5か所には何度も足を運んで来たが、岩間寺だけは参拝の機会がなかった。
三十三所すべてを巡る予定も根気もないが、6か所のうちあと1か所となると、行ってみようという気になっても不思議ではないだろう。幸い6月1日は雨の心配がなく、最高気温も28度と低めの予想なので少し早めに家を出て、岩間寺に向かった。

 

白洲正子さんの「西国巡礼」講談社文芸文庫(1999年)から引用する。
「伝説によれば、元正天皇の御代に、泰澄大師という坊さんが、この山中で夜を明かしていると、かたわらの桂の大木の中から、経文を唱える声がした。翌日、村の人々と語らって、切ってみると、千手観音の像が現れ、そのまま彫刻しておまつりしたのが、この寺のはじまりである」

 

ちなみに元正(げんしょう)天皇は、日本の女帝としては5人目であるが、それまでの女帝が皇后や皇太子妃であったのに対し、結婚経験はなく、独身で即位した初めての女性天皇となる。その後、孝謙・称徳、明正(めいしょう)、後桜町と生涯独身の女性天皇が即位しているが、独身で即位する女性天皇を、生きているうちにこの目で見られる日が来るかもしれないというと、恐れ多いだろうか?

 

「木の中から、観音が出現したというのは、どこにでもある話だがおもしろい。逆に言えば、その野生のエネルギーが、仏教を消化し、発展させたといえるのではないだろうか。そういうものがなかったら、日本の仏教は、抽象的な学問に終わったかもしれない。神の肉体に、仏の精神を与えた、いわゆる本地垂迹説には、私たちが普通考えるような神秘性はなく、はるかに実際的で、かつ健康な思想のように思われる。」
「そして、今はまったく地上から消え失せたように見える神々が、観音様の衣のかげから、ふと顔をのぞかせることに驚いている。」

 

ほぼ毎月17日に石山駅から岩間寺までのバス直行便が出ているので、それを利用すれば、ほとんど歩かずに参拝できるのだが、苦労をして観音様に参拝するとご利益があるだろうと考え、あえて歩く行程を組んだ。バス停から岩間寺まで歩いて登りの約50分は少々きつかった。さらに岩間寺から山を越えて上醍醐まで6キロ表示があったが、そこまで信心深くないので、奥宮神社経由で下山した。

 

 

 

岩間寺境内に芭蕉の有名な句碑がある。
古池や蛙飛び込む水の音

 

寺の案内板によれば、芭蕉は岩間寺の観音を信仰して参篭し、この名句が生まれたという。
元禄3年(1690)、芭蕉47歳、「おくのほそ道」の旅を終えた翌年、4月~7月(陽暦5月~9月)までの4か月を岩間寺北方の国分山幻住庵に暮らし「幻住庵記」を書いていて、芭蕉俳文中の秀作とされる。鴨長明の「方丈記」との類似性が指摘されており、おそらく「方丈記」を意識して書かれたものと思われる。
その間、岩間寺にやってきたことは想像に難くない。
ちなみに水戸黄門が隠居したのも同じく元禄3年(1690)10月で、松尾芭蕉と水戸黄門は同時代を生きた。

 

一方、東京都深川芭蕉庵跡には「芭蕉記念館」が建っていて、ここで「古池や」の句が詠まれたことになっている。
「芭蕉年譜大成」では、この句は貞享3年(1686)の春、「芭蕉庵において衆議判による蛙の句二十番句合を興行」の項に掲載されている。奥の細道の旅に出るのが元禄2年(1689)なので、その3年前にこの名句が生まれていることになる。
古池や古井戸は死者の国への入り口であり、蛙が飛び込むことで、「死と生」を対比させており、また「静と動」をも対比させている。
昔、中学校の国語の試験で「古池に蛙は何匹いますか?またその理由も書きなさい」という問題があり、びっくりした記憶がある。あとで先生が種明かしをしてくれて、「何か書いてあれば10点だったのに、何も書いてない生徒がいて採点に困りました。」と言っていた。

 

芭蕉の「幻住庵記」には俳句が一句だけ載っている。
先ずたのむ椎の木もあり夏木立


(旅に生き、一所不在を旨とした芭蕉は、食べるものに窮したら椎の実がたのもしい食料になると常々考えていたので、この句が生まれたのだろう)

 

私は俳句の門外漢なので、「古池や」が岩間寺と深川芭蕉庵のどちらで詠まれたかわからないが、幻住庵での厳しい生活を思う時、岩間寺で詠まれたとする説に説得力がある。また、そのように思わせるところが、ここで「古池や」の句が詠まれたという伝説がその後300年以上色あせない理由になっていると思われる。

 

<参考資料>

「西国巡礼」白洲正子(講談社文芸文庫)1999年

 


奥宮神社の鳥居

岩間寺まで1.4キロと出ているが、登りがきつく、ここから30分かかった。帰りは比較的楽にここまで降りてきた。

 

泰澄は加賀国白山を開山したと伝えられるので、白山姫龍神をここに勧請した。

女性がこの神を崇めると美女になるという。

 

古池や蛙飛び込む水の音

芭蕉の池(発祥地)ここで句を詠んだと伝わる。

 

本堂。

屋根にかかって見えているのがご神木の桂。

 

奥宮神社に向かう途中に樹齢千年を超える桂がある。

大樹の前に拝殿が用意されている。

 

奥宮神社に龍神の彫り物が飾られている。

 

観音霊場らしく様々な観音様が見られる。

聖観音は手が2本、足が2本、目が2つなど、最も人間に近く造られている観音様。

 

稲妻龍王社。

稲妻龍王は岩間寺の護法善神で、この銀杏の大樹に住む。

よく水を司り、雷難・火難を除き、大魔から護り給う。

 

国分山幻住庵(2016年5月撮影)

石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ…

 

御本尊出現の霊木。

三代目と書かれている。

 

奥宮に向かう参道は苔むしている。

奥宮に向かう人は少ない。

 

奥宮展望台からは琵琶湖が見える。

近江大橋が見えている。