第29番「松尾寺(まつのおでら)」

JR小浜線「青郷駅」からかつて水上勉が教鞭をとった青郷小学校高野分校を通り、熊野神社に差し掛かるあたりに熊出没の看板があった。そこから山道に入ると青葉山を経由して、成生まで行けるらしい。

今日は寄り道をしながら「松尾寺」を目指す。

 

西国巡礼

 

西国巡礼というのは、観音信仰にはじまるが、観音がさまざまの形に変身して、人間を救うという考えのもとに、かりに三十三の霊場が定められた。が、あくまでもそれは「かりに」のことであって、実際には「無限」を示す数である。
三十三間堂も、千手観音も、そうしたものの現れだが、別の言葉でいえば、観音の慈悲に甲乙はなく、へだてもないという意味で、このことを追求していくと、しまいには人それぞれによって、どう解釈しようと構わない、信仰の有無すら問わない、ただ「巡礼すればいい」そういう極限まで行ってしまう。それは決して私が考えていたような窮屈な信仰ではなく、実に広大無辺な思想なのであった。

 

一般に流布されている巡礼の歴史は次のとおりである。
養老年間(718年ごろ)に、大和の国の長谷寺に、徳道上人と呼ばれる坊さんがいた。ある時、病を得て死に、冥途の入口で閻魔王に会い、汝は本土に返って、諸人を救うため、三十三ヵ所の観音霊場をひろめよといわれ、その証拠として、三十三の宝印を与えられて蘇生した。
上人は蘇ったのち、実行に移ったが、誰もその話を信用してくれない。落胆した上人は宝印を中山寺に埋め、そののちかえりみる人もなかったが、平安朝の頃、花山院(968~1008)によって掘り出され、はじめて巡礼が一般にも行われるようになったという。


この伝説は、巡礼が盛んになるまでに、多くの屈折を経たことを物語っているが、民間に行渡ったのは、それからのちの鎌倉時代から室町へかけてで、その間には天台座主行尊(1057~1135)、三井寺の覚忠(1149~1216)などの功績もあった。
が、ほんとに盛んになったのは江戸時代で、西国巡礼の名称も東国に対する「西国」を意味するといわれている。が、それには観音の浄土が西方にあるという、古くからの信仰も含まれていたのではないだろうか。西方浄土への憧憬は、今もなお西洋崇拝という形をとって生き続けているが、そういうところに、もしかすると、変幻自在な観音の正体が見いだされるのかもしれない。

 

巡礼の霊場を、「札所」と呼ぶのは花山院にはじまる。
永延2年(988)3月、熊野路を那智から紀三井寺へ回り、粉河寺に参詣された花山院は

 

むかしより風にしられぬ燈火(ともしび)の 光にはるる後の世のやみ

 

の一首を、札に記して手向けられた。それが「お札」のはじまりであると聞く。
巡礼というと私たちは「おへんろさん」を想像する。が、それは四国八十八カ所の名称で、西国では単に「巡礼」と呼ぶ。前者は、弘法大師の遺跡であり、西国はたびたび言うように、観音信仰だが、歴史は四国より古い。




 

 

三十三所の本尊は、ほとんど秘仏になっており、拝観できないのは残念だが、世の中にはかくしておいた方がいいこともたくさんある。もともと変化自在な仏である。どこにでも存在すると思えば、しいて穿鑿(せんさく)するにも及ぶまい。
(以上、白洲正子「西国巡礼」講談社文芸文庫1999年より)

 

平成30年(2018)は徳道上人が人々に観音信仰、及びその霊場に参ることを薦められた養老2年(718)より、数えて1300年になる。
2016年から2020年まで5年間にわたり、西国三十三所各札所では、普段は非公開のお堂や諸尊の御開帳、および庭の公開や寺宝の観覧を行っている。
詳細は「西国三十三所札所会事務局」

http://www.saikoku33.gr.jp

 

日本人の尻尾

 

今は本来の意味が忘れられ、あるいは失われているが、かつて確かにあった日本人に特有の文化・風習を「日本人の尻尾」と呼んでおきたい。
西国三十三所を自家用車で回るのが流行っているらしい。ドライブのルートに西国巡礼を入れると、比較的すいている道路を田舎の風光明媚な景色を楽しみながら、効率的に西国巡礼ができるという。ご利益があるかどうかは二の次で「ただ巡礼すればいい」という効率的な考え方で、本来の趣旨から外れていると言えばそうかもしれないが、それでよいと白洲正子さんは著作で述べている。

 

かつての大石信仰は日本庭園の「三尊石」などに姿かたちを変えているが、日本庭園に美を見出し、田舎の水田に心癒されるのも「日本人の尻尾」と言えるだろう。
あってもなくてもいいようなものだが、日本人に古来備わっていて、今ではその意味や存在意義が失われているものがいっぱいあると思う。

 

明治維新後、特に第二次大戦後のアメリカ主導のグローバリゼーションの進行で、日本人は「日本人の尻尾」を失い続けているように思われるが、防ぐ手立ても失われつつある。
時代の先端を行く人々は日本人であるよりもコスモポリタンであることを選択する傾向が出てきている。多分あと10年か20年でコスモポリタンが日本人の主流になっているかもしれない。
文学界では村上春樹、スポーツ界ではイチロー、大坂なおみ等は「日本人」というより、「コスモポリタン」と考えたほうがいいだろう。今は一部であるが、そういう人々が今後は増え続けるような気がしている。

 

日本人の尻尾としての「西国巡礼」、寄り道を楽しみながらスタートしたい。

 

<参考資料>
西国巡礼(白洲正子)講談社文芸文庫1999年