第23番「勝尾寺」から「箕面大滝」を目指す山中で、小さな秋を見つけた。

 

 

第23番「勝尾寺(かつおうじ)」

 

神亀4年(727)、双子の善仲・善算両上人が箕面山中に草庵を結んだのが始まりとされる。
のちに光仁天皇の皇子・開成(かいじょう)が来山し、両上人を師と仰いで、宝亀6年(775)に堂を建てて、弥勒寺と号した。

 

勝尾寺に改称したのは平安時代のことで、第6代座首の行巡上人が清和天皇の病気平癒で霊験を示したため、朝廷から王に勝つ「勝王寺」という寺名を賜った。しかし、寺側が遠慮して王を尾の字に控え「勝尾寺」にした。

 

 

 

以後、源氏や足利氏、豊臣氏など各時代の覇者の帰依を受け、勝運の寺として信仰されてきた。

 

開成皇子の墓のある最勝ケ峰から箕面大滝まで東海自然歩道に沿って歩けば行けることが分かったので、そのルートをたどってみた。紅葉にはまだ早いが、小さな秋が見つかったような気がする。11月下旬には「湖水のほとり」で紅葉と西行を取り上げてみたい。

 

<参考資料>
西国三十三所をあるく(JTBパブリッシング)2015年


勝尾寺の字の中に何やら挟まっている。

達磨じゃないか!

 

お浄め橋から二階堂の方向にカメラを向けた。

弁天池に張り出しているのは弁天堂。

 

多宝塔と観世音菩薩。

ご本尊は十一面千手観音とのこと。

 

早々に退散して山道に入る。

山道へは法然上人二階堂の左手から入る。

 

岩だらけの道を進む。

 

下り始めると植生が変わり、センブリが可憐な白い花を咲かせていた。その強烈な苦みとともに印象に残る花だ。

 

箕面大滝に到着した。落差約33メートルの名瀑。

頼山陽も訪れ、詩作したという。

 

唐の貴人が大滝を見ようとここまで来たが、大岩に驚きあきらめて引き返したという伝説がある。

 

箕面駅の近くになると、風情のある建物が散見される。

 

仁王門を入るとお浄め橋がある。

そこで、人工的にお浄めの霧を発生させている。

 

参道の至る所に達磨達がいる。

少し多すぎやしないか?

 

本堂では般若心経が唱えられていた。

その音声が山内各所のスピーカーから流れてくる。

 

野生の獣との共生は寺院でも難しい。

2か所の施錠をする厳重な警備。合掌。

 

最勝ケ峰の直下に開成皇子の墓はあった。

 

箕面ビジターセンターから先は30分ほど車道を歩かなければならい。東海自然歩道とはお別れ。

 

山風、意をなして、気勢を争い。

横様に、紅葉を吹いて、満前に飛ばしむ。

 

こんなところに修験道の道場があった。

明治期に修験道は廃されたが、復活しているようだ。

 

裏千家の茶道教室だった。