常行堂から食堂(じきどう)を撮影。

摩尼殿から西へ老杉が林立する山間の参道を5分ほど行くと、突然空が開け、白砂の大広場が現れる。広場を囲むように右から大講堂、食堂、常行堂(合わせて三之堂)がコの字型に建っている。

 

 

第27番「圓教寺(えんぎょうじ)」


当山は康保(こうほう)3年(966)、性空(しょうくう)上人によって開かれました。
「この山に登る者は菩提心を起こし、また峰に棲む者は六根を浄められる」という文殊菩薩のお告げのとおり、摩尼殿(まにでん)の白山(准胝峰)において、上人は六根清浄の悟りを得られました。その後上人の徳を慕い利益(りやく)を得ようという人々の多くの信仰を集め、「西の比叡山」とも称されるように僧侶の修行の道場としても栄えてまいりました。
(圓教寺パンフより)

 

洋画が好きな方には2003年公開「ラストサムライ」のロケ地となったことで良く知られている。トム・クルーズ、渡辺謙が出演し、当時話題を集めた。


さて、白洲正子さんの「西国巡礼」にトム・クルーズは登場しないが、代わりに和泉式部が重要な役回りで登場する。その部分を引用する。
「これも伝説に過ぎないが、和泉式部は性空証人に深く帰依し、次の歌も上人にあてて詠んだと言われている。

 

暗きより暗き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月

 

恋愛に一生を捧げた華やかな女性の、これがふとした時に現れるほんとうの顔だったかもしれない。その式部の歌塚というのが、上人の廟の裏手によりそった形で立っているが、後の人の創作としても、所を得ていると思う。」

 

和泉式部を名前だけで知っている多くの読者にとって、白洲正子さんの文章は難解で分かりにくいと思う。
和泉式部(978年~1025年頃)は同時代を生きた紫式部(975年頃~1019年頃)に次のように評されている。
「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」(紫式部日記)

 

 

現代で言えば、同性に嫌われる「恋多き女」「魔性の女」と言ったところだろう。
しかしこんな一面もある。和泉式部が娘の子式部を亡くした時の歌である。

 

とどめおきて誰を哀れと思ふらむ 子はまさるらむ子は憎(まさ)りけり

 

同じ音(おん)で違う意味を持たせた言葉の重複が和歌の意味を分かりにくくしている。
よく分からないが、亡くなった子供を思う親の気持ちと亡くなった親を思う子供の気持ちを比較しているのだろうことは、なんとなくわかる。それぞれの立場(式部―子式部―子供)で、正解はないのだが、よくよく気持ちを推し量って読むべきだろう。
暗きより暗き道にぞ……この歌も同じ音で違う意味を持たせていると思う。「暗き道」とは仏道のことなのか恋愛のことなのか判然としないが、式部自身もともと判然としないことを歌っているのかもしれない。悩みは深き女の情念ということで、私には分かりません。分かったふりもしたくありません。

 

白洲正子さんの「西国巡礼」からもう一つ引用する。
「性空上人の廟所は本堂からだいぶ隔たった奥の院の一隅にあり、ここまで来ると山奥の寺らしい雰囲気がある。私が行ったときには、高等学校の学生らしいのが、剣術の稽古をしていたが、黒い格好で飛び回っているのが、烏天狗みたいで面白かった。この辺の若者は、ここにきて稽古する習慣があるのだろうか。舞台装置としては完璧で、山岳宗教や僧兵の伝統が、こういう形で残っているのは、都会の近くでは見られない風景である。」

この文章から50年ほどして、この場所で渡辺謙や真田広之が烏天狗のように立ち回りをするとは誰も想像していなかったろう。これも観音様のお導きというと笑われるだろうか。

 


ロープウェイ山上駅から仁王門まで参道が続き、その間に33の観音像が出迎えてくれる。

 

湯屋橋の手前に弁慶のお手玉石がある。

武蔵坊弁慶はここで少年時代を過ごした。

 

摩尼殿から茶屋を見る。

手前の紅葉はまだ色づいていない。時雨が欲しい。

 

右が大講堂で左が食堂。

この日は何かのイベントがあって、混雑していた。

 

奥の院。

右が不動堂、奥が開山堂、左が護法堂拝殿。

 

鬼気迫る力士像。

 

ひっそり佇む和泉式部の歌塚。

暗きより暗き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月

 

帰りの道すがら、紅葉を撮影。

葉がちりちりなので、時雨が欲しいところ。

 

仁王門まで15分ほどかかるので、お年寄りは一休み。

市街地が右手に見えるが、逆光になるので山側を撮影。

 

階段の上に懸崖造りの摩尼殿。

性空上人が最初に修業した場所と言われる。

 

三之堂へ続く杉木立の参道。

花山法皇は圓教寺を二度訪れているという。

 

大講堂の裏手と食堂の間に弁慶の鏡井戸がある。

いじめは昔からあったようだ。

 

開山堂についての案内板。

性空上人の墓所でもある。

 

屋根の重さに必死に耐えている。

 

姫路城主本田家の墓所。

忠正、正朝、忠国、忠刻などの墓がある。

 

60人乗りのロープウェイ。

時間が許せば、徒歩で下山したかったが。

下山45分かかるとガイドブックにあり、断念。